親の模倣が母音発達を導く過程を計算で分析する

研究テーマ

[:ja]

子供が母国語の母音を獲得する過程に,親の期待や模倣の癖(バイアス)がどのように影響するかを計算機シミュレーションで分析しています.

発話の相互模倣シミュレーション(2007年)

子供の声は,生後一年をかけて徐々に母国語に特化したものになっていき,日本人なら日本語の5つの母音をうまく発音できるようになり,またそれらをうまく聞き分けられるようにもなっていきます.そして,親の「あ」という声を聴いて,親にも「あ」と聞こえる音を出せるように真似もうまくなっていきます.このような母音獲得を子供は当たり前のように達成しているものの,「発音の学習」「音声知覚の学習」「模倣のための知覚と発音の結びつけの学習」の3つの学習の達成が必要であること,また,これらの学習の期間には様々なやりとりが親との間で交わされていることから,いったいどのような仕組みと条件で母音獲得が達成されているのかは完全には明らかになっていません.そこで,計算機シミュレーションによって,それらを明らかにする取り組みを行いました.

まず最初に作成した計算モデルは,相手の発音した単母音の音声(二次元ベクトルとして表現)を自分の発話運動(二次元ベクトルとして表現)に変換する模倣関数を2つ用意して,互いの出力が入力となるように結び付けたものです.これは,親と子が互いに声を真似しあうことが母音獲得を促しているという仮説があったためです.一方の模倣関数は親による模倣に使われるものであり,「親の真似のうまさは変わらない」という想定のもと,模倣の仕方を決める関数のパラメータは固定であるものとしました.もう一方の模倣関数は子による模倣に使われるものであり,「子の真似のうまさは,親に真似されるごとに向上する」という想定のもと,親に模倣をされる度に,よりうまく模倣ができるように関数のパラメータが更新されるものとしました.このような設定にしておいて,はじめは母音ともとれない曖昧な音ばかりであった子の発話が,親との声の相互模倣の繰り返しを通じて,どのように移り変わっていくかを計算で確かめてみました.期待される結果は,徐々に「あいうえお」の単母音を喋れるようになっていくことでした.しかし,シミュレーションの結果はそうはならず,曖昧な音ばかりを発するままでした.つまり,相互模倣だけでは母音獲得は達成できない,ということがわかりました.

親の模倣のバイアスの追加(2010年)

上記のシミュレーションで最終的に行われていた模倣のやりとりは,「子も親も,複数の母音が混ざったような曖昧な音を繰り返し互いに真似しあっている」というものでした.しかし,このように曖昧な音ばかり真似しあう状況は不自然です.少なくとも親の側は,曖昧な音でも母国語の母音のいずれかの音に似た音として聞くという特性(知覚のマグネット効果として知られています)を有していますし,曖昧な音より普段使っている母音の方が発音しやすいので,親の発話は子の発話に比べて,母音の知覚にまとまって分布するはずです.そこで,このような「聞いた音をより母音に近い音として模倣する」という癖(バイアス)をSensorimotor magnetsと名付けて,親の模倣関数に組み込みました.このようにすると,声の模倣の繰り返しを通じて,子の発話は5つの音に収束していきました.しかし,それらの音は,「母音ではない」曖昧な音でした.言い換えると,親のSensorimotor magnetsは,子の発話を一定の音に収束させる効果を持つものの,その音が母国語の母音になるように誘導する効果は持たない,ということがわかりました.

そこで,親が模倣する際に起きているであろう別の癖も親の模倣関数に組み込むことにしました.これは,聞こえてくると期待していた音の方に知覚が引き寄せられる,というものです.互いに声を真似をしあっている状況で,親がある声を発した後には,その声に対する真似の声が聞こえてくると無意識的にも期待すると考えられます.そこで,自分自身が発した声によって,聞こえる音がそちらよりの音として知覚されるというバイアスがあると仮定し,これをauto-mirroring bias(自己鏡映バイアス)と名付け,模倣関数に組み込みました.そして,上記のSensorimotor magnetsとauto-mirroring biasの強さを様々に変えた条件で相互模倣のシミュレーションを行ったところ,これらの二つのバイアスの強さのバランスが取れている場合に,子の発話は一定の音に収束しながら,徐々に母国語の母音に導かれていくという母音獲得の過程が再現されました.

Auto-mirroring biasの存在の検証(2010年)

上記のシミュレーションでは,相互模倣の状況で自分自身が発した声によって聞こえる音がそちらよりの音として知覚されるAuto-mirroring biasが存在すると仮定した場合に,子の母音獲得のメカニズムが説明できることが示されました.そこで,このバイアスが成人の模倣傾向として存在するかを検証する実験を実施しました.合成音声を実験参加者に利かせ,その合成音声と相互に模倣しあってもらったときの模倣の傾向を解析したところ,このバイアスの存在を裏付けるような模倣傾向となっていることが確認されました.

関連論文:

  1. Hisashi Ishihara, Yuichiro Yoshikawa, Katsushi Miura and Minoru Asada. How caregiver’s anticipation shapes infant’s vowel through mutual imitation? IEEE Transactions on Autonomous Mental Development, Volume 1(4), pp. 217-225, 2009.
  2. 石原尚,若狭みゆき,吉川雄一郎,浅田稔.乳児母音発達を誘導する自己鏡映的親行動の構成論的検討.認知科学, Volume 18(1), pp.100–113, 2011.
  3. Hisashi Ishihara, Yuichiro Yoshikawa, Katsushi Miura, and Minoru Asada. Caregiver’s Sensorimotor Magnets Lead Infant’s Vowel Acquisition through Auto Mirroring. Proceedings of the IEEE 7th Int’l Conf. on Development and Learning, Vol.CD-ROM, 2008.
  4. Hisashi Ishihara, Yuichiro Yoshikawa, and Minoru Asada. Caregiver’s Auto-mirroring and Infant’s articulatory Development Enable Sharing Vowels. Proceedings of the Ninth Int’l Conf. on Epigenetic Robotics, 2009.
  5. 石原尚,若狭みゆき,吉川雄一郎,浅田稔.乳児母音発達における親の期待の持つ誘導的効果: 発達シミュレーション及び音声模倣実験による検討.日本認知科学会第27回大会抄録集O3-3,2010.大会発表賞受賞
  6. 石原尚, 吉川雄一郎, 三浦勝司, 浅田稔. 相互模倣を通じた相手との声域の対応付けと母音獲得. 情報処理学会関西支部 支部大会講演論文集, pp.79-82, 2007.
  7. 石原尚, 吉川雄一郎, 三浦勝司, 浅田稔. 母子間相互模倣におけるマグネット効果が導く乳児の母音獲得. 日本赤ちゃん学会第7回学術集会, ポスターセッション, 2007.
  8. Hisashi Ishihara, Yuichiro Yoshikawa, Katsushi Miura and Minoru Asada. A Computational Modelling of Unconscious Guidance in Mutual Imitation: Simulation of Mother-Infant Vowel Interaction with Homogeneous Imitation Mechanism. Interdisciplinary College IK-2008 Poster Session, March 2008.
  9. 石原尚, 吉川雄一郎, 三浦勝司, 浅田稔. A Computational Modeling of Unconscious Guidance in Mutual Imitation. 日本赤ちゃん学会第8回学術集会, ポスターセッション, 2008.
  10. 石原尚, 吉川雄一郎, 浅田稔. 養育者の自己模倣と乳児の構音発達が可能にする母音共有. 身体性認知科学と実世界応用に関する若手研究専門委員会(ECSRA) 第5回ワークショップ, ポスターセッション,Vol. CD-ROM, 2009.
  11. 石原尚, 吉川雄一郎, 浅田稔. 養育者の自己鏡映と乳児の構音発達が可能にする母音共有. 日本ロボット学会専門委員会ECSRA・HUROBINT合同研究会,ポスターセッション,Vol. CD-ROM, 2009.
  12. Hisashi Ishihara. Social development by being expected to become social. Blown Bag Lectures, University of Zurich, Al lab, 2010.
  13. 石原尚, 若狭みゆき, 吉川雄一郎, 浅田稔. 親の自己鏡映的認知が子の母音発達に及ぼす効果. 大阪大学学際融合教育シンポジウム, ポスターセッション, 2010.
  14. 若狭みゆき,石原尚,吉川雄一郎,浅田稔.期待により親の模倣は歪む: 自己鏡映バイアスを検証する相互模倣発話実験.日本赤ちゃん学会 第10回学術集会, ポスターセッション, 2010.
  15. 石原尚.人らしく解釈されることで人になる仕組みはあるか?-構成論的アプローチによる誘導的発達メカニズムの検証-.身体性認知科学と実世界応用に関する若手研究専門委員会(ECSRA) 第8回ワークショップ,vol. CD-ROM, 2010.
  16. 石原尚. 構成論的手法による親の期待の持つ発達誘導効果の検証. 日本赤ちゃん学会第11回学術集会自主ラウンドテーブル. 2011年5月7日.

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